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「夏に想う故郷の墓参りとダム」パート2+住職の法話
久しぶりの墓参り。緑濃い故郷は都会の喧騒をしばし忘れさせてくれる。ダムの工事が始まって十数年になるだろうか。更地になった校舎跡地には草の穂先に赤トンボ、本体工事はおろか周辺工事もわずかしか進んでいないようにみえる。水の必要性が云われてからは三十数年、必要性がないことは明らか。それでも少しずつ水没までの時間が縮められている。
高台に移転した数軒の集落(福井県遠敷郡上中町河内、現在は合併で三方上中郡若狭町河内になった。変な名前。ますます歴史を断ち切ることになった。なんと味気ないことか。)のお寺で盆会勤行が行われ、孫たちを引き連れたお爺、お婆があちこちから参拝に集まっていた。盆会では戦没者法要も行われた。そこでの住職の法話は私の胸を打った。
宗派(浄土真宗本願派)が「殺すことなかれ、殺さしめることなかれ」と云う仏の教えに反して、支配者に媚びて「敵を殺すことが仏の大乗の教えを実践することになる」などとの詭弁で信徒を侵略戦争にかりだし協力したことを、宗派としても反省していること。そして現在憲法改定の問題があるが、この憲法確定時の文部省発行の中学1年生用冊子「憲法の話」で、日本は戦争に負けたが国民は決して心配することはない、日本は今後戦争をしないため二つのことを決めた、一つは軍隊を持たないこと、もう一つは国間の争いは話し合いで解決していくこと、との文章がある。このことは「殺すことなかれ」と云うことだけでなく「殺さしめることなかれ」と云う仏の教えそのものである。
そのような法話を聴き、住職への敬愛の念を深くするとともに、今回の参議院選挙後の世論調査は憲法9条を守ろうと云う世論が大きくなっていることを示しているが、そのことと合わせ、平和憲法を守る国民多数派結集へのあらたな確信を深めた夏の一日であった。
2007年8月21日記
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6月議会から
住民税増税への怒りがものすごい
1兆7千億円の大増税が市民の暮らしを圧迫している。執筆中の今も電話があった。
Mさん「障害があって年金暮らしでぎりぎりの生活。毎日10円、20円の節約をしているのに一気に7,000円もの増税。死ねというのか。払える訳がない。払わないから差し押さえしたければ何でも持って行けと役所の窓口で言って来た」と怒りが収まらない。
こうした声を政権与党の自民・公明の議員の皆さんはどう受け止めているのだろうか。
6月6日の本会議代表質問、わが党議員団はこの増税問題を項目の一つとして取り上げた。ところがこの質問があることをキャッチしたのだろうか、公明党が前日の5日、同党代表質問で、「増税だ、増税だと宣伝して党勢拡大に利用している政党がある」などと述べ、「今回の地方税の増税は税源移譲によるものであって所得税がマイナスされた分をプラスしただけである。市の窓口でそのことを説明せよ」と当局に求めた。わが党は翌日の質問で早速原稿を書き換えて、公明質問にかみ合わせて論破した。
民主党市議団は憲法違反の集団的自衛権行使の研究に なぜ反対しないのか
日本共産党堺市議団は今議会に「憲法違反の集団的自衛権行使の研究」をしないことを内容とした政府に対する意見書を提案した。しかし自民、公明とともに民主もこの議案に反対した。小沢一郎党首は集団的自衛権は現憲法では認められていないと言明して、憲法を変えることを主張している。改憲の主張は別にして当然の主張である。にもかかわらずこの態度。どうも解からない党である。
2007年6月25日
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T・K様へ
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「“私の部屋”が長いこと更新されていない、閉鎖したほうが良いのではないか」とのご意見を何度もお聞かせいただいていました。ごもっとも且つありがたいご意見で、更新に努力をしていきたく思います。
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ふるさと談議
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2005年2月2日
昨日美原町と合併して新堺市が誕生した。これについての党議員団の声明を別掲でお読みいただきたいと思う。昨日は市民会館で合併式典、今日は在任特例で新堺市会議員となった旧美原町議員との初議員会が行われた。これまでの美原町の住民はこれからは、故郷は堺市美原町です、ということになる。
一方、生まれ故郷の福井県遠敷郡上中町は4月1日に隣の三方町と合併して三方上中郡若狭町となることが1月21日の同窓会に参加して知った。全国あちこちで国の押付け合併が進んでいる。そして上中町河内(こうち)の集落は既に全ての家が取り壊され、かつての面影を感じることはできない。ダムは多目的に必要だとされた。しかし、家庭水道は足りているし、水田は減反だし、工業団地はガラガラだ。あの時期から20年以上は経っているだろう。それでもダムの工事は続いている。
さて、堺の土地に来てから38年になる。そろそろ第2のふるさとは堺という時期になったのだろうか。「しんぶん赤旗」から記事の以来があった。次の文章が2005年1月31日に載った記事の元文である。ご一読いただければ幸いである。
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■わが街ふるさと
市役所の近く、市民会館の一角に西南方向の海を向いて立つ像、呂栄(るそん)助左衛門。彼を主人公としたNHK大河ドラマ「黄金の日々」(1978年放映)で紹介された堺市は2月1日、住民投票を求める市民の声を聞かずに隣の美原町と合併して、83万の新堺市が誕生し、来年4月にも政令市移行をめざしている。
納谷(なや)助左衛門は南蛮貿易で巨万の富を手に入れ、その豪勢な暮らしの故豊臣秀吉の怒りを買ってカンボジアに逃げルソンになったという人物。中世の自治都市・堺の象徴の一つである。彼の豪邸を寄進移築したのが重要文化財に指定されている臨済宗大安寺本堂、チンチン電車の御陵前を下車し2、3分の所にある。その隣には三好長慶建立、沢庵和尚が再建した南宗寺があり、お茶の千家一門の供養塔や茶室実相庵がある。中世自治都市のシンボルが旧市街地を囲む環濠、土居川・内川である。残念ながらその一部は高度経済成長時代に高速道路になってしまっているが、残ったこの財産を活かした街づくりをしようということで浄化・改修が進められ当時の雰囲気を少し残している。また世界三大陵墓の1つ、大山陵古墳(いわゆる仁徳天皇陵とされている)など百舌鳥古墳群は四六墓を数える。周遊路をハイキングがてらに歩いて古代の風を感じるのも一興である。大阪の奥座敷と云われた堺だが1960年代の臨海コンビナート造成によって大きく変貌してしまった。それでもこうした歴史文化を街のあちこちに感じることができる。
堺は、日露戦争の際戦地に赴く弟に「君死にたもうことなかれ」と詠んだ浪漫派の情熱の歌人、与謝野晶子の街としても有名である。堺から平和を大きく発信しようと憲法九条を守る幅広い運動がとりくまれつつあり、1月11日、9条の会をつくった1人、小田実さんを招いての講演会は850人が参加した。党議員団は非核平和都市宣言にふさわしく平和を発信するまちに、また中世の自治都市を歴史だけのものにせず名実ともに自治都市になるよう活動している。
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9月議会質問から「堺市は自衛隊の手助けをするな」
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総務委員会にて、広報さかい9月号に海上自衛艦の体験航海参加者募集の記事が掲載されたことについて市の見解を質しました。地方自治体が自衛官募集の広報を行うことは、自衛隊法に明記されたことから、本来不当だとしても根拠があります。しかし体験航海募集を広報することは規定されていません。このことを追求すると、隊員募集の一環として広報してほしいと自衛隊から依頼があったからとの答弁。募集と体験航海とは関係がないとの追求に対して、体験航海によって自衛隊を知ることが募集につながる、との苦しい答弁。しかし爽快な船旅が自衛隊の姿ではありません。武器をもって人を殺し傷つけ、物を破壊することが軍事組織の本質です。自衛隊を知ることが募集に役立つという論理であればそうした本質全体を知らせることが筋。かっこいいところだけ知らせるのは誤った認識をもたらすものです。そのような広報はすべきではないことを主張しました。
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靖国参拝涙は出なかった
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改造小泉内閣であたらしく外務大臣になった町村信孝氏は就任記者会見で「英霊に誓うのは当然」と述べて小泉首相の靖国神社参拝を正当化して、国内外の批判の声を非難した。これに対して早速、中国や韓国からの厳しい反応が伝えられている。
靖国のことが話題になると47年前、中学1年生のときを思い出す。「お国のために命をささげた」父親が「英霊」として祀られているということで福井県内の戦死者遺児が専用の集団列車で上京、靖国を参拝した。昇殿し、「鏡の向こうにお父上が眠っておられます」と云う宮司の話しに泣きながら「お父さん」と呼びかける者も結構いた。周囲が泣いているので私も泣こうとして目をこすったが、実感が沸かず涙は出なかった。後日知ったことだが、合祀されているとなってはいるが遺体そのものがなかった訳だから「霊魂」があるはずもない。従って泣けなかったのかも知れない。いずれにしても侵略戦争を押し進めたA級戦犯を神として祀り、侵略の歴史を美化するような神社に、父が実際には合祀されていないことは私としては喜ぶべきことなのである。
しかし、靖国という言葉に何とはなしに懐かしい響きを感じるのは、小さい時から靖国に父が眠っているということを聞き、靖国の歌を聞いて育ったことなどの影響だろう。そこに、靖国参拝に執着し、遺族会を自民党が集票組織として利用していることを含め、平和憲法を打破り戦争ができる軍事大国化をめざす勢力の、国民の感情をコントロールする巧妙な手法をみるのである。
憲法9条を改悪しようとの動きが急ななかで、平和を守る闘いを大きく盛り上げなければとの思いがつのる。
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夏に想う故郷のお墓参りとダム
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わが家の小さな墓は福井県若狭の地、わずか数軒の民家がある河内と云う名前の小さな集落に、小さな集落には不釣合いの4年前の春に新装なって落慶法要が行われた立派な寺の境内の一隅にある。そこは幼少の記憶にある、腕白ガキどもが遊んだ寺の境内ではない。そこは間もなくダムに水没する。村の全戸が他所に移転して新しい村をつくる話が壊れて、数軒と寺がダムに沈む村の高台に移転した、その境内である。
私が村を離れてしばらくした30数年前、農業、工業用水など多目的に水が必要だとして話が持ち上がった。金がばらまかれ、反対、賛成に村が二分され、温厚な村人の心を大きく傷つけた。しかし、当時から水は間に合っており、そのうえ減反、造成した工業団地はがら空き、ダムの必要性は全くなくなってしまった。というより元々なかった。しかし工事は止まらない。工事現場には請負業者のハザマ組の大きな看板が立っている。入札の何年も前にハザマに決まっていたということだ。
長野県のダムの話は全国的になったが、同様の無駄な公共事業がここにもある。日本の良き故郷の風景もこうして壊されていく。
今年もお盆の季節になった。墓参りも味気なくなったが、しかし、お墓を掃除し父母などの霊に手を合わせに行こうと考えている。そして、故郷の風景を壊さない政治、無駄な公共事業をさせない政治のために、心を新たにしてがんばろうと思っている。
2002年8月1日記 |
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